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私には、いとも簡単に甦る二つの【顔】が記憶の片隅にこびり付いて離れない。

 その一つはK市の幼稚園に初めて通う日の出来事なのだが、当時住んでいた家は今では余りお目にかかれない“長屋”と呼ぶべき建物で、ガラガラと音をたてる狭い玄関の引き戸を開けると土間になっており小さな下駄箱が辛うじて置いてある。目の前は廊下もなく、すぐに六畳間の上がり框でそこから上がってすぐの右手に便所が玄関と同じ並びに備わっており、その部屋を抜けると四畳半の部屋がある。その左手にこじんまりとした台所がついていて、更に奥には勝手口と間仕切りなどない脱衣所と限りなく正方形に近い小さな湯舟のある風呂場だ。その割には押し入れに近所の子供たち滅多に持っていなかった当時の自分の背丈ほどあるロボットアニメのおもちゃとソフビ製の特撮ヒーローや怪獣の人形が数十体、超合金と呼ばれた物もあり友達と遊ぶ時には鼻高々の宝物が揃っていた家だった。
 この時年長組だった僕はすでに自分一人で着替える術を身に着け、左胸にチューリップを模った名札のついた園服を着て外で遊んでいたその日の朝、家の中から何かが倒れる音がしたので玄関を開けてみるとそこには母親がなぜか畳に伏せ、その傍らにビールの缶を持った男が立っていた。
(えっ・・・・・・)
と、思ったのと同時に立ち上がろうとする母親に空手の前蹴りの如く腰骨の辺りを蹴り上げる男は、小柄で体の一部に龍の入れ墨を刻むような青春を経て、一つ年下の母親が私を身ごもった為に結婚を踏み切った⦅実父⦆で、原因までは解らないが日々の生活から生まれた些細な事から言い争いの末に下したのであろうその暴力は母親が泣きながら発した言葉も聞かずにその後も二度三度と続けられた。

目前で繰り広げられている光景に身動きもできず、その場に立ち竦む。

 この左の口角を上げ薄気味悪い半笑いの面構えをした傲慢無礼を極める男の表情は怒り狂っている故にだと思われるが、そこには腕力にモノを云わせ抑え込むことによる征服感に酔いしれている様にも見える。感情をむき出しにしたその表情を映像として幼かった僕の心とも脳ともいえない記憶のどこかにどす黒く、この時点では説明出来ない高揚と共に鮮明に形取られて一つ目の【顔】は焼き付けられた。

 その一部始終を見届けても何故か涙が流れることもなく憤りを覚えるわけでもなく呆然とした僕は、目を赤くして俯いた母親に肩掛けの黄色いポーチをかけられ、幼稚園の送迎バスに向かう為にそのふくよかな手をギュッと握り家を後にした。

 それから程なくして当然の成り行きというべく両親は離婚し、母親と四つ離れた弟と生活を送ることとなる。当初は近所の弁当屋で働いていたのだが、養育費を貰っていなかったもしくは給料が安かったなのか定かではないが、スナックのホステスとして勤めを始めた。この頃私はランドセルを背負った小学二年生で、活発に動き回る明るい男の子だった。父親がいないとはいえ幸せでも不幸でもない平凡な日常はそう長く続かなかった。二か月目、三か月目と日を追うごとに母親は家を空ける日が増えていったのだ。
 僕と弟は前もって買い置きされたパンや缶詰をそれなりの時間に食べる暮らしを余儀なくされるのだが、更に時が経つとテーブルの上に現金だけがポツンと置いてあるだけとなり、それさえも何日も空いて食事が給食だけだった日も幾度か訪れる。この頃に以前米を研ぎ炊飯器で炊く術を思い出して自分でやり始め、二人の空腹をしのぐ唯一の手段になっていた。寂しいと感じる時も確かにあったのだが、こんな日々が当たり前に起こることに対し何の疑いも無くなるまで心はマヒしていた。それでも今この状況にさらされていることを知ってほしかったのであろう私は、母親の勤めるスナックに真夜中突然姿を現してみたり、またある時は幼い弟の手を引きあてもなく街を迷子のように彷徨い警察のお世話になったりと、子供の頭で思いつく限りの表現を時折起こして見せた。

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